n転び、(n+1)起き

n転び、(n+1)起き

今回の記事は、手書きや手帳の話はなく、どこまでも私の自分語りです。長いだけでなく、ちょっと重量があります。御用心。


長いスランプでした。インスタの投稿やブログの更新がほとんどできない状態が続きました。脱したかどうかはこの先を見てみないとなんとも言えませんが、この記事を公のものとして書かねば「この先」に進めない気がしたので、意を決して書くことにしました。

私はACです。(公共広告機構ではない)アダルトチルドレン、親との関係が起因で生活や人生に困難を感じる人を指す用語です。信田さよ子氏の、「自分がACだと思えばACである」という言葉に背中を押されて、私はこの概念を採用することにしました。

それまでは内心「いうてもACほどじゃない」と思っていました。しかし苦しさは増す一方、いい加減耐えきれず認めざるを得なくなり(しかもスパッと一回でとはいかなかった)、認めるに従って、ACを否認していたころの抑制がどんどんできなくなりました。焦りました。疲れやしんどさがだだ漏れになり、しかも私はあわよくば接する人全員に自分の心境を理解してほしがっているようなのです!自分の背負う特大の漬物石(年季物)を相手構わず押しつけるような行為です。ザ・迷惑。長年ないものにしてきた不安や不満が一揆を起こしたような感じでした。一揆って授業以外で初めて使った。

私の一番の問題は仕事への影響でした。智文堂の活動で自分が書いたものが商品にさえなり、真面目に取り組むほどその中に未消化の汚物みたいなのが混じりそうで、のびのび書けなくなりました。SNSやブログの記事を、当の親が見ているという状況も緊張に拍車をかけました。(気にしすぎだ、そんなことでこの仕事ができるか、という内面化した親の声が私の内部でこだまします。それができないから苦しんでるんだよ!!)

この状況を脱するには私が自分自身の、ものの見方や行動パターンや無自覚の選択をひとつひとつ変えていくしかありません。私はあがきました。のたうちまわりました。なんで私がこんな思いを……!おのれ……!!という恨みでいっぱいでしたが、この仕事を辞めたくない!諦めてたまるか!!!!という意地がそれを上回りました。この意地の強さは親譲りです。その点は感謝。

たくさんの書籍と、最新・現場の情報に簡単にアクセスできる(玉石混淆には要注意やけど)ネットの技術、そして何より夫を含む友人たちの助けのおかげで、私はこのほど「もしかして寛解しつつあるかもしれん……」と言えそうなまでに至りました。(と言いつつ、これまで何度も「もう大丈夫」と確信しては、隠れていた大波のような課題に打ちのめされて「やっぱあかんかった」を繰り返してきたので、「ほんまか……?」と懐疑的な気持ちもありますが)

自分で心身をケアするのは、言葉で言うほどやさしいことではなかったです。とくに2024年に入ってからの数ヶ月は(これ書いてる時点でほぼ全期間)自分の気持ちや行動がどんどん資本市場や経済活動についていけなくなり、いよいよダメかも……本気でヤバい……と危ぶんでいました。そのときどきのお仕事は必死で誠実に取り組んだつもりですが、近くでご覧になった方は「この人マジで大丈夫かな」と感じられたかもしれません。大変失礼いたしました。それにもかかわらず私に声をかけてくださって本当にありがとうございます。

自分のACの話はずっと避けてきました。理由は複数あります。私が語る以上は私の目に映った親の話にしかならないし(フェアではない)、読んだ方に気を遣わせる恐れもあるし(本意ではない)、SNSでは生活に少しの楽しみをもたらしてくれることを発信したいし(深刻なのは避けたい)、これこれこうなったら元気になりますと言えないし(先行き不透明)、細かい理由は他に無数。まあ何より、ACであることを恥じていたんです。親とうまくやれない、自分の負の感情を制御できない、そういう劣等感を抱えた一方で、素知らぬ顔で商品やサンプルをおすすめして、なんだか人に「教える」真似事をしてしまっている自分がいたたまれなかったのです。そんな状態は楽しみにしてくださるお客様に失礼すぎるし、恥の無限ループ。このループの中にいると、時折だれかが示してくれる軌道修正を、ちゃんと受け取れないんですね。

おそらく寛解によって「ACも自分の大事な一部やな」と思うようになり、”これまで隠して抹消しようとしていた部分を自分自身として統合するプロセス”の必要を感じて、この記事を書くことにしました。ACも私自身だと宣言する、ひとつの儀式と言いますか。

あんなに恥じていた状態をそんなふうに捉える日が来るとは、自分でビックリしていますし、どうしたこと??と不思議です。ACの存在感の大きさにうんざりして、扱いかねるな……しんどいな……どうにか消えんかな……と泣き言の種やったのに、人とは変わるもんだ。

ケアのお供の手帳ーズ。plotterから始まり、ページが増えて、現在はNピアスに ( リング径20mm )

私の内面のケアは、書くこと、作ることが媒介でした。書いていたから今がある、は偽らざる実感ですが、これからはもっと気楽に、のほほんと書くことを楽しむ所存です。上で「教える真似事がいたたまれない」とは書きましたが、自分の作った・書いたものは好きなのです。えへ。そしてその楽しさや軽やかさを、皆様に少しずつご覧いただけたらなあと思っております。智文堂の活動は今後もしぶとく続けます。よろしければお付き合いいただけたら嬉しいです。

最後に、言わずもがなのことではありますが、これをお読みになったどなたかが親御さん(あるいはお子さん)と楽しい時間を過ごされているお話を伺うのは尊いので、どうぞご遠慮なさらず。

また上記は全て、私のきわめて個人的な体験談であり、どなたかの状況と比べたり、理解や感想を強要するものではございません。原因や責任を探して追及する意図もありません。お目通しいただいただけで十分です。

明日からまた投稿ゼロの日が延々続く、となりませんように!(ガンバレ)

それでは、次回もよろしくお願いいたします。

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